2016年05月05日

ハノイの思い出

初めてのベトナム訪問は、タイのバンコックからハノイまで飛行機で行った。 ベトナム航空の飛行機はドンムアン空港の端の方に駐機しており、乗客の搭乗が終わるとすぐにハノイのノイバイ空港に向けて飛び立った。 ノイバイ空港の入国待合室は小屋のような所で、近代化が進むバンコックに比べると時間が止まったままのように感じた。 ハノイにはフランス植民地時代の建物が多く残っており、古い物が好きな私には何とも居心地の良い街ではあるが、ホテルの食堂のメニューに載っているが注文できる物は限られていた。 新しい建物は、湖のそばにあるキューバの援助で建てられたタンロイホテルぐらいで、当時の高級ホテルとしてはホアンキエム湖のそばにあるトンニャットホテルが有名であった。

古く車両は汚いが市外電車が走っており、元気なベトナムの子供の遊び道具になっていた。 街路樹がに植えられていたが、所々に防空壕に使われた蛸壷のような穴が開いている。 中国との戦争があったので、町の中には反中国のスローガンが多く見られた。 最近、テレビの番組でハノイの街を見る機会があったが、その様変わりした姿に驚かされた。 残念ながら、今のハノイにはゆっくり時間が流れるのんびりした雰囲気はなく、昔の静かで古ぼけてはいるが趣のあるハノイの街をノスタルジーとして、いつまでも大切に心の中に留めておきたい。

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2013年10月19日

ベトナムで驚かされたこと!

ノイバイ空港からハノイ市内に車で向かっていた時、前から来るトラックのヘッドライトが片方しか点いていなかったことには驚かされた。 それが一台だけでなく、すべてのトラックが片方しかヘッドライトを点けていなかった、きっとベトナム人は目がいいので運転に支障がないのだろうが、バイクと思っていたのが近くに来ると大きなトラックだったので驚いた。 ベトナム戦争中に敵に発見されないため、トラックの移動は夜が多い、その時に敵にオートバイと思わせるためか、ただ単に電気の節約のためにそうしていたのかもしれないが。

ハノイからハイフォン行く途中、道路沿いにドラム缶が置かれているのを見かけたのでベトナム人に尋ねると、車に給油するためのガソリンが入っているとのこと。 彼の説明では、北爆の時にドラム缶を草で覆っておけば敵機に発見されず、ちゃんとした給油所よりずっと安全とのこと、給油所を造る資金がなかったからかもしれないが、結果的にベトナム人の知恵が近代兵器に勝利したのかもしれない。

こんな話も聞いた、敵の基地を襲撃した後遠くに逃げないで、敵の基地のすぐそばに掘ったトンネルの中に隠れていると、砲撃されることはないとのこと。 ベトナム人の知恵には、感心させられることが多い。 
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2013年10月18日

ベトナムの英雄

ベトナムの町の通りの名前に、侵略者と戦った英雄の名前が付けられていることが多い。 ハノイでは漢や明の侵略を退けた英雄の名前が付けられている通りがある、その中でも有名なのはハノイの中心にあるホアンキエム(還剣)湖にいる大亀が咥えていた剣で戦い、明を撃退したレ・ロイが有名である。

ホーおじさんと呼ばれベトナムを独立に導いたホーチミンは、サイゴンの名前で知られていた旧南ベトナムの都市の名前になっている。 先日102歳で亡くなった、もう一人の独立の立役者ボーグェンザップ将軍の名前も、いつまでもその功績を忘れないために通りの名前として残るかもしれない。

弔問に多くの市民が訪れたとのニュースが世界に伝えられ、国民に慕われ尊敬されていることを知らしめた。 難攻不落と言われたフランス軍の要塞ディエンビエンフーを陥落させ、その後ベトナムを侵略した圧倒的な軍事力を誇るアメリカと長期に亘って戦い、アメリカを撤退に導いたベトナムの英雄である。 

ベトナムが他のアジアの国と違うのは、ホーチミンなどの独立の立役者が質実剛健で質素な生活を送ったこと、それが国民に今も慕われている一番の要因だと思う。
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